2010年04月30日

聖書を旅する〜荒野に生きるアイベックス

荒野に生きるアイベックス

「荒野に生きるアイベックス」
Photo: Chikara Takeshita 

イスラエルの荒野に行くと、アイベックスという、野生のヤギが数多く生息しています。
彼らは、外的から身を防ぐためか、普段、崖の高いところを好んで生活しています。


しかしながら、当然なことに、水は崖のはるか下を流れているわけです。
しかも、年間降水量30mmという、ただでさえ水の乏しい地域。
川と言っても、そのほとんどは水のない、ワディと呼ばれる水無川です。

彼らは、ごく限られた地下水が湧き出て流れている谷川のわずかな水を慕い求めて、
ほとんど垂直、断崖絶壁とも言える崖でも、彼らは強靭な足と爪で、上り下りしていくのです。

まさに、荒野のロック・クライマー!

日本は、水も食料も豊富です。
そればかりか海外からも、多くの水や食糧もさらに輸入し、
いろんな物にもあふれているにもかかわらず、
年間自殺者は3万人以上…、何かがおかしい。


決して、水や食料がどれだけあっても、生きていけない、
いや、そのことにも気がつかないまま、心は脱水症状を起こし、
たましいが渇ききってしまうのかもしれません。

聖書の中にある詩の中に、こんな詩があります。
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」詩篇42:1

昔は、野生の鹿も棲息していたのかもしれませんが、おそらく、このアイベックスが
「谷川の流れを慕う鹿」ではないかと思われます。
この詩の作者もまた、心の渇きと絶望のどん底にいたようです。


「私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。」詩篇 42:2


頭だけのただの「神」ではない、この荒野の地でヤギや鹿たちをも生かす「生ける神」。
この「神」こそが、私も、生かしてくださるに違いない…
「絶望」が襲い掛かる中で、己のたましいに向かって、言い聞かせていくのです。

「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか…。
 神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。 詩篇 42:11


人生、山あり谷あり…。
もし神がいるなら、なぜ、なだらかな平坦な道ばかりではないのでしょう…
そんなふうにも思えてしまうのですが、
その山を越え、谷を越えた先にこそ、見えてくるもの、得られるもの、
神が見せたいものもあるのかもしれませんね。


あの過酷と思える自然環境の中で、アイベックスたちが生き、子を産み、
群れを成している姿を見ていると、
あ、自分はまだまだ大丈夫…と、勇気や力も湧いてくるから不思議です。


荒野でヤギや鹿を生かす神がいる…!

生きるためには、水も食べ物も、多くの物が必要です。
でも、本当に、いのちあるものだけが、いのちを慰め、励まし、生かすことができるような気がします。

「あなたは岩間の野やぎが子を産む時を知っているか…。 

 わたしは荒れた地をそれの家とし、不毛の地をその住みかとした。」ヨブ 39:1, 6


(写真・文 竹下 力/にこまるツアー・聖望キリスト教会伝道師) 

ラベル:詩篇 イスラエル
posted by acts at 11:16| Comment(0) | TrackBack(1) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

聖書を旅する〜荒野の先にある「しあわせ」

主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、
燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野、
水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、
あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。

それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、
ついには、あなたをしあわせにするためであった…!! 
申命記8:14〜16


荒野の旅路 イスラエル・ネゲブ砂漠

「荒野の旅路」
 Photo: (C) Chikara Takeshita

 出エジプトというと、「エジプト」や「シナイ山」のイメージが強くなりますが、ベエルシェバから南側に広がるネゲブ砂漠一帯こそ、モーセが率いるイスラエルの民が放浪していた場所です。
 現在の国境には捉われず、地図でエジプトとの位置関係を確認してみてください。

 北はダンから、南はベエル・シェバまで―

 ベエルシェバより南になると、水のない荒野…ネゲブ砂漠一帯が広がっていきます。
 砂漠といっても、砂原というよりは、岩肌の表れた、まさに文字通りの「荒野」です。
 モーセの率いるイスラエルの民は、40年間もの間、この地を彷徨うことになります。
 
イスラエル・荒野の旅 車窓から この荒野を旅するとき、旅行者の皆さんにお願いすることは、必ず20分に1口は水を含むこと。
 特に、乾燥地帯に慣れていない日本人は、気づかぬうちに肌から水分が奪われ、瞬く間に脱水症状を引き起こしてしまうからです。
 もし…、それにもかかわらず、
 ガイドや添乗員が、水を用意もしなければ、買う場所にも案内しなければ、どうなるでしょう…。
 おそらく、大クレームになってしまうと思います。

 出エジプトした民が、まずモーセに求めたのも、水。
 これは、ただ喉が乾いたとか、水か飲みたい…というレベルではないのです。
 おいおい、このままだったら死ぬぞ!という、生死を賭けた要求です。

 荒野を旅する時、コップ一杯の水が、まさしく「いのちの水」に変わります。

荒野に生きるアイベックス そんな荒野で、どこで水を見つけるのでしょう。。。野生のアイベックス(野ヤギ)が、顔を覗かせます。
 枯れたような潅木も、地の奥深くにあるような、かすかな水分で生息し、年に1度も雨の降らないようなこの地にも、ひとたび雨が降れば、一斉に草花が芽吹きはじめ、一面に花を咲かせるそうなのです。
 
 一見、死に面した荒野ですが、「いのち」を実感させてくれるのが、この荒野ではないでしょうか。

 それは、頭や概念ではなく、まさしく生活、体全体で、私たちを生かしてくれる「神」という存在をリアルに感じさせてくれるところでもあるのです。

 日本は、水や緑、自然の幸にも恵まれ、どんなに不況とは言っても、世界有数の経済大国であることには変わりはありません。
 にもかかわらず、多くの人が貧しさを感じ、また自殺者も年間3万人を数えています。

 ついには、あなたをしあわせにするためであった…!! 

 イスラエルの土地は、日本に比べれば、決して豊かとは言えないかもしれません。

 しかし、この荒野を通る時、そこはまさしく「乳と蜜の流れる地」になりうるのでした。



イスラエル聖地旅行
ことばは人となり、私たちの間に住まわれた…
「聖書の世界をライブする!」 神と人が共に生きた現場へ
2010 年2 月2 日(火)〜2 月12 日(金) イスラエル11 日間


  旅行代金 成田発着 358,000 円  (空港諸税別)
 案内役 竹下 力 (Holy Hope Project 伝道者)
 現地ガイド 柿内ルツ師 (政府公認ガイド・東京聖書学院卒)
 http://www.nikomaru.jp/acts/tour2010.shtml
posted by acts at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

聖書を旅する〜ダビデの五つの石

ダビデはサウルに言った。
「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」

ダビデはそれを脱ぎ、 自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、
それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近づいた…。
1サムエル 17:39〜40


ダビデとゴリアテが戦ったエラの谷

「兵どもの夢の跡 〜エラの谷〜」
photo: (C)Chikara Takeshita

 ユダ部族であったダビデと、ペリシテの巨人ゴリヤテが戦った「エラの谷」。
 2008年10月にはエラの要塞跡から古代ヘブライ文字が発見され、実際に、このあたりでペリシテとイスラエルの攻防が行われていたことも判明してきています。まさしく古戦場であった場所です。

サウルは、巨人ゴリアテに戦おうとするダビデに、自分のよろいかぶとを着させます。
ですが、それを着たダビデは、まともに歩くことも出来ません。
慣れていなかったからです。

ダビデは、サウルのよろいかぶとを脱ぎ捨て、
いつもどおりの羊飼いの格好で、自らが一番得意とする石投げで勝負を挑むのです。

私たちも大きな問題や困難にぶつかった時、
ついつい慣れていない、よろいかぶとを身に付けては、
四苦八苦、守ろうとしているのかもしれません。
他の人も、それでは無理だ、あれがいい、これがいいと薦めてくれるかもしれません。

ですが、なかなか、うまくいきません。慣れていないからです。

神は、一人一人に違った能力、個性を与えてくれています。
ダビデの勇気は、その自分に力を与えてくれている神への信頼からくるものでした。

…私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。
 1サムエル 17:45

エラの谷での石拾い 
 エラの谷での石拾い

自分にとっての得意とするもの、「5つの石」とは何でしょう…。

このエラの谷で、探してみたいものです。


イスラエル聖地旅行
ことばは人となり、私たちの間に住まわれた…
「聖書の世界をライブする!」 神と人が共に生きた現場へ
2010 年2 月2 日(火)〜2 月12 日(金) イスラエル11 日間


  旅行代金 成田発着 358,000 円  (空港諸税別)
 案内役 竹下 力 (Holy Hope Project 伝道者)
 現地ガイド 柿内ルツ師 (政府公認ガイド・東京聖書学院卒)
 http://www.nikomaru.jp/acts/tour2010.shtml
posted by acts at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

聖書を旅する〜ナザレから何の良いものが出るだろう…


ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」

ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」
ヨハネ  1:46

ナザレの街並み

「ナザレの街並み」
photo:(C) Chikara Takeshita 


 イエスと出会ったピリポが、ナタナエルに声をかけた時、ナタナエルは、こう答えます。

 「ナザレから何の良いものが出るだろう…」

 ある意味、正解なのです。

ナザレといえば、ガリラヤ地方にある小さな街です。
当時は、本当に小さな田舎の村といった方が適切かもしれません。
今でこそ、世界中のクリスチャンの間では、イエスが育ち、公生涯が始まるまで生活していた街として
有名かもしれませんが、このこと以外には、聖書はもちろん、歴史の表舞台に出てくることはありません。
もし、この事実がなかったら、「ナザレ」という名前が知れ渡ることもなかったことでしょう。

時折、イエスは、「ガリラヤのナザレのイエス」とか「ナザレの大工イエス」とも呼ばれていますが、
いうなれば「静岡の下川原の太郎さん」という感じなのです。

 「下川原」って、どこ?

 …と思われると思いますが、私の生まれ育った所なのでして、まさにそういった感じでしょう。

 そのナザレに行くと、ステンドグラスが美しく、各国の民族の姿で描かれた聖母子のモザイク画も飾られて、立派な「マリアの受胎告知教会」があります。

  
 IMG_1589.jpgIMG_1594.jpg 

…が、今日は、そのとなりにある地味目な「大工ヨセフの教会」に注目します。

地下にいくと、イエスの時代に、大工の作業痕跡がある洞窟があります。

すなわち、この洞窟が大工であった父ヨセフの家と推測され、
ここで母マリアとともに、イエスも生活していたことになります。

大工なのに、自分の家がないということが不思議に感じるかもしれませんが、
当時の大工とは、こういった洞窟に扉や、家具類を作る職人か、
さもなくば、出稼ぎで裕福な家のレンガ造りの家を立てる日雇い大工でしかありません。
 IMG_1613.jpg
大工ヨセフの教会 大工の痕跡が残る洞窟


今にしてみれば、とても貧しい生活です。
ですが、これがナザレの一般的な住まいなのです。

…ことばは、人となり、私たちの間に住まわれた。

しかし、本当に、そういう名もない小さな村で、
しかも、何の肩書きも身分なく、
大工という貧しい生活をしていた、
この「ナザレのイエス」のもとに、
多くの人々は集まり、多くの感動を受け、
ユダヤを揺り動かし、さらには世界に渡って、
その名を響かせていくことになるのです。

「ナザレから何の良いものが出るだろう…」

「ナザレ」に何の意味があるのか…。

実は、ここに聖地旅行の意義もあるように思います。
何のために、イスラエルにまで行ってみる必要があるのか…。

ナタナエルは、ある程度、聖書にも精通していたかもしれません。
確かに、「ナザレ」には、何の預言も、意味も、事件も、ありませんでした。

でも、行って、見なければ、本当のところはわかりません。


 …ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」

   ピリポは言った。「来て、そして、見なさい…!!」


そして、ナタナエルは、この「ナザレ」のイエスと、人生最大の出会いを果たすことになるのです。


イスラエル聖地旅行
ことばは人となり、私たちの間に住まわれた…
「聖書の世界をライブする!」 神と人が共に生きた現場へ
2010 年2 月2 日(火)〜2 月12 日(金) イスラエル11 日間


 
 旅行代金 成田発着 358,000 円  (空港諸税別)
 案内役 竹下 力 (Holy Hope Project 伝道者)
 現地ガイド 柿内ルツ師 (政府公認ガイド・東京聖書学院卒)
 http://www.nikomaru.jp/acts/tour2010.shtml
posted by acts at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

聖書を旅する〜夜明けのガリラヤ湖

夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。

けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった…。
 ヨハネ 21:4

IMG_1547.jpg

ガリラヤ湖の夜明け
photo:(C) Chikara Takeshita


 ヨハネの福音書の最後には、復活した主イエスが、漁に出かけていた弟子たちと会うために、
ガリラヤ湖の岸辺に立たれた記事が出ています。

 明け方、ホテル近くのガリラヤ湖の岸辺に行くと、朝日と共に1層の船が。。。

 イースター(過ぎ越し)のある4月頃、サウジアラビアの方から砂交じりの暑い風が吹き始め、
写真のように靄がかかったようになります。
 ちょうど、主イエスから見た弟子たちの船は、このような情景だったかもしれません。

 主イエスが捕らえられた時、3度「知らない」と言ってしまったペテロに、復活の主イエスは3度、「わたしを愛するか」と尋ねられます。
その「3度」に、ペテロの心の傷が疼くのです。
なぜ、主イエスは、3度、語られたのでしょうか。皮肉か、嫌味か、ちょっと頭にきていたのか、なぜでしょう。。。

 いや、「3度」の傷を負ってしまったペテロだからこそ、「3度」の絆を結ぼうとしたのではないでしょうか。

 当時の漁船をモデルにした遊覧船
当時の漁船のモデルにした船
 ガリラヤ湖の漁師
 ガリラヤ湖の漁師
 ペテロの再召命教会
ペテロの再召命教会
 主はペテロに同じく3度、こう語りかけるのです。

 「わたしの羊を飼いなさい。」
 あなたは、列記としたわたしの弟子だよ。どうか、わたしの羊を養ってください…。

 もし、ペテロが5度傷を追ったのなら、主イエスも5度、
さらに傷ついたのなら、何度でも語りかけてくれるに違いありません。

ガリラヤ湖畔には、この記事に基づく、ぺテロの再召命教会もあります。

不完全な私たちの人間関係の中で、全く傷つかない人はいないと思います。
誰かに傷つけられた傷。誰かを傷つけてしまった傷。私にもいろいろな傷があります。

主イエスの赦しと癒しを受けながら、多くの絆を結べる者へと変えられていきたいものです。


…ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」
 と言われたので、心を痛めてイエスに言った。

「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。
 あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」

イエスは彼に言われた…。「わたしの羊を飼いなさい…。」



イスラエル聖地旅行
ことばは人となり、私たちの間に住まわれた…
「聖書の世界をライブする!」 神と人が共に生きた現場へ
2010 年2 月2 日(火)〜2 月12 日(金) イスラエル11 日間


 
 旅行代金 成田発着 358,000 円  (空港諸税別)
 案内役 竹下 力 (Holy Hope Project 伝道者)
 現地ガイド 柿内ルツ師 (政府公認ガイド・東京聖書学院卒)
 http://www.nikomaru.jp/acts/tour2010.shtml

posted by acts at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月20日

聖書を旅する〜エルサレム 十字架の道

彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」

…そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。 
ヨハネ19:15〜16
聖地旅行記 エルサレム 十字架の道

「ヴィア・ドロローサX 十字架を担ぐ巡礼者」
(C)Chikara Takeshita


 アントニア要塞跡から聖墳墓教会まで十字架を背負った道が、ヴvia05.jpgィア・ドロローサです。

 旧市街の中にあり、街の造り、雰囲気は、当時も今もほぼ同じです。聖書の記事や伝承から14のステーションに分かれていますが、それらを探している余裕もないほど、人ごみの中、狭い路地を抜けていくことになります。

 時は、過越の祭りの直前。各地からユダヤ人が集まってきていたことを考えると、多くの人ごみの中で揉まれる様にして歩いていったことがわかります。


■聖墳墓教会

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。
ルカ 23:33

聖地旅行記 エルサレム 聖墳墓教会
 十字架が建てられたゴルゴダの丘と、主イエスが納められた聖墳墓からなっています。
  旧市街の城壁内に位置していますが、キリスト時代には城壁の外となり、教会のある下の岩には、十字架の立てられた痕跡も多く見つかっています。

 罪状書は「ユダヤ人の王」。

 いわば、テロリスト、政治犯としての死です。
 多くの群集たちが、イエスを支持していったため、当時の宗教政治家たちから危険視されたのでした。
 
聖地旅行記 エルサレム ゴルゴダの十字架 教会には、考古学的にも十字架の痕跡のある岩の上に、金色に装飾された十字架が立てられていますが、実際の十字架は、もっと曲がりくねった、ふしだらけの木に、血と汗の滲む十字架だったはずです。
 
 わずか3年半の公生涯の間、多くの病人を癒し、罪人を赦し、当時の宗教政治家たちから非難を浴びても、人を愛する事をやめなかったイエス。
 
 まさしく、人々を愛し、罪を赦していった結果の十字架だったでした。


イスラエル聖地旅行
ことばは人となり、私たちの間に住まわれた…
「聖書の世界をライブする!」 神と人が共に生きた現場へ
2010 年2 月2 日(火)〜2 月12 日(金) イスラエル11 日間


 
 旅行代金 成田発着 358,000 円  (空港諸税別)
 案内役 竹下 力 (Holy Hope Project 伝道者)
 現地ガイド 柿内ルツ師 (政府公認ガイド・東京聖書学院卒)
 http://www.nikomaru.jp/acts/tour2010.shtml

posted by acts at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

聖書を旅する〜鶏鳴教会とイエスの愛したもう一人の弟子

 ペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。」と
 イエスの言われたあのことばを思い出した。

 そうして、彼は出て行って、激しく泣いた…。 マタイ26:75

エルサレム ペテロの鶏鳴教会

[城壁の隙間から覗いた鶏鳴教会]
photo: (C)Chikara Takeshita

 現在のエルサレム旧市街城壁の南外側に「ペテロの鶏鳴教会(大祭司カヤパの官邸跡)」があります。
 当時は、今の旧市街よりも南側に広がっていて、カヤパの官邸も城壁内に位置しています。

ペテロ鶏鳴教会 エルサレム 逮捕された主イエスは、大祭司カヤパの官邸にて裁判を受けます。そこで、ペテロは主イエスのことを3度「知らない」と否定してしまったわけですが、そこまで行った勇気は褒められるべきことなのかもしれません。

 実は、もう1人、このカヤパの官邸に行った弟子がいました。ヨハネです。
 ヨハネは十字架の元にまで行った唯一の弟子です。
 一見最後まで忠実だったように思えるかもしれませんが、なぜ、ペテロだけは周りから責められ、ヨハネは何事もなく無事だったのでしょう…。

 ヨハネの福音書には、ヨハネは大祭司カヤパと知り合いで、門番とも顔見知りだったことが同時に描かれているのです。(ヨハネ18:15〜16)

つまり、ペテロは「イエスの弟子」として、ヨハネは「大祭司の知り合い」としてこの官邸にいたのでした。

ユダは公然と裏切り、ペテロは公然と否定した。
カヤパ官邸跡の地下牢
カヤパ官邸跡に残る地下牢


でも、ヨハネは…、影で裏切り、裏で否定していたのです。

大祭司と知り合いだから誰からも何も言われず、十字架の元にまで行くことができたし、大祭司と知り合いでいながらも、何もできなかったし、しなかったのです。

ですが、イエスは、そのヨハネに母マリアを託したのでした。

この事実は、他の福音書には描かれていません。

ヨハネの福音書では、最後、ヨハネ自身のことを「イエスが愛された弟子」として書かれています。

生意気そうですが、ヨハネは、「イエスを愛した弟子」とは到底、書けなかったのです。
しかし、そんなイエスを裏切り、卑怯な自分のことをもイエスが愛してくれたという信仰告白でもあり、
罪の告白でもあったのです。

「私たちが神を愛したのではなく、
 神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。
 ここに愛があるのです。」  1ヨハネ 4:10



イスラエル聖地旅行
ことばは人となり、私たちの間に住まわれた…
「聖書の世界をライブする!」 神と人が共に生きた現場へ
2010 年2 月2 日(火)〜2 月12 日(金) イスラエル11 日間


 
 旅行代金 成田発着 358,000 円  (空港諸税別)
 案内役 竹下 力 (Holy Hope Project 伝道者)
 現地ガイド 柿内ルツ師 (政府公認ガイド・東京聖書学院卒)
 http://www.nikomaru.jp/acts/tour2010.shtml
 
posted by acts at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

聖書を旅する〜信仰で維持した国 「嘆きの壁」

 エルサレムの平和のために祈れ。

  「おまえを愛する人々が栄えるように。
   おまえの城壁のうちには、平和があるように。
   おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように…。」
詩篇122:7〜6

エルサレム旧市街 嘆きの壁

 [嘆きの壁の前で祈るユダヤ人]
photo:(C) Chikara Takeshita

 神殿の丘の西側にあるのが通称「嘆きの壁」です。
 下から7段目までがヘロデ王が改修工事をした際の壁で、その上は後の時代に積み重ねられたもの。すべて白色のエルサレムストーンでできていますが、詰まれた年代の違いによって層ができています。地面の下にも実は14段ほど壁が埋まっています。

 その詰まれた石の重さは、祖国を追われることになったユダヤの歴史の重さとも言えるかもしれません。

 「今、イスラエルよ。あなたがたが行なうように私の教えるおきてと定めとを聞きなさい。

 そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えようと
  しておられる地を所有することができる。」  申命記 4:1

嘆きの壁の前で聖書を読むユダヤ人 彼らはなんと2000年近くも祖国を失いながら、ただ神への信仰と聖書によって自国の言葉ヘブライ語を継承し、イスラエル人としてのアイデンティティを維持し続けてきたのです。

 いまだ世界地図から、日本 - JAPAN - の名前は消えたことのない日本人には、理解仕切れないものがあるように思います。

 ユダヤ人たちが、祖国復興、神殿再建を願い、この場所で祈る姿から「嘆きの壁」と呼ばれるようになりましたが、しかし、のユダヤ人たちは決して嘆いているばかりではありません。

 ここで神に礼拝を捧げ、聖書を読み、祈ることが彼らの希望でもあり、時に喜び、感謝も捧げているのです。



イスラエル聖地旅行
ことばは人となり、私たちの間に住まわれた…
「聖書の世界をライブする!」 神と人が共に生きた現場へ
2010 年2 月2 日(火)〜2 月12 日(金) イスラエル11 日間


 
 旅行代金 成田発着 358,000 円  (空港諸税別)
 案内役 竹下 力 (Holy Hope Project 伝道者)
 現地ガイド 柿内ルツ師 (政府公認ガイド・東京聖書学院卒)
 http://www.nikomaru.jp/acts/tour2010.shtml
 
posted by acts at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月15日

聖書を旅する〜エルサレムと平和

エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。

「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら…。」ルカ 19:41〜42

オリーブ山から見たエルサレム夕景

[オリーブ山からのエルサレム夕景]
 photo: (C)Chikara Takeshita 

 イエス・キリストが十字架にかかる直前、エリコ方面からオリーブ山を超えて、エルサレムに入城されたと思われます。

 その後の出来事の記事を見ると、神殿に入り、日が暮れてたので戻られたことが書かれています。ですので、オリーブ山を通過したのも、夕方近くだったかもしれません。
 
主の泣かれた教会
主の泣かれた教会内から
神殿の丘を望む

 オリーブ山の中腹にある教会からは神殿の丘の様子がよく見えます。主イエスもユダヤ人の一人、エルサレムをこよなく愛していました。

 しかし、キリストの昇天後、AD66年に反ローマ勢力が強まりユダヤ戦争が勃発、AD70年ローマ軍によりエルサレムは崩壊することになります。

 エルサレムは、今でも、ちょうどイスラエル-パレスチナの狭間であり、ユダヤ、アラブがそれぞれに存在しています。そこに諸外国、キリスト教界も加わる形で、今もなお、エルサレムを巡って様々な争いも繰り広げられているのも現実です。
 
 この場所で、主イエスが泣いて言われた「平和」ということについて、考えてみたいものです。
 



イスラエル聖地旅行
ことばは人となり、私たちの間に住まわれた…
「聖書の世界をライブする!」 神と人が共に生きた現場へ
2010 年2 月2 日(火)〜2 月12 日(金) イスラエル11 日間


 
 旅行代金 成田発着 358,000 円  (空港諸税別)
 案内役 竹下 力 (Holy Hope Project 伝道者)
 現地ガイド 柿内ルツ師 (政府公認ガイド・東京聖書学院卒)
 http://www.nikomaru.jp/acts/tour2010.shtml
posted by acts at 18:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月20日

クリスチャン向け聖地旅行の先駆け−ナオミ・コミュニケーション

往年のクリスチャンの方であれば、聖地旅行といえば「ナオミ・コミュニケーション」の
名前が浮かぶ方も少なくないと思います。
その代表だった小郡キリスト教会の下川省三先生が2月11日、天国に旅立たれたと
いう知らせが飛び込んできました。

ナオミのツアーは、決して安さ勝負ではなく、内容重視のツアー。
先生自身が下調べをし、長期の旅行に疲れが出ないようにと五つ星ホテルから、さらに
吟味したホテルのみを利用されていました。
リーダーとなる牧師先生を団長に招き、「バラさん」こと榊原茂氏、スティーブン栄子師
といったクリスチャンガイドを立てて案内、クリスチャンには画期的で満足のいく内容に、
とても人気が高いものでした。

かれこれ十数年前になりますが、私自身が初めてイスラエルに行ったのも、このナオミ・
コミュニケーションのツアーでした。
学生であった当時、教会から離れていたのですが、熱心なクリスチャンであった父が、
断りもなく、勝手に申し込んでしまったのでした。
聖書にも、イスラエルにも、全く関心のなかった私でしたが、いざ、行ってみてビックリ!
日本とは、全く違う気候、風土、文化。
小さな頃から聞かされていた聖書の「物語」も、途端にリアリティをもって、この目に飛び
込んで来たのでした。

そんな私が、いまやイスラエルの聖地旅行を手配しているから不思議です。
アクツ企画の聖地旅行の原点には、このナオミ・コミュニケーションがあると言っても
過言ではありません。
そこで添乗していたベドウ(当時福沢)路得子さんや、バラさんとも出会い、いまだに
お付き合いさせていただいております。
また、アクツ企画でよくガイドをお願いしているのが、柿内ルツさんといいまして、
「ナオミ」に、嫁の「ルツ」と、勝手に不思議なつながりを感じたりもしていたものでした。

一度、下川先生にお会いして、お話もしてみたかったのですが、とても残念です。

やっぱり会うべき人には、すぐに会いに行くべきですね。。。

アクツ企画も、ナオミに負けない聖地旅行を企画していきたい、
それこそが下川先生に対する一番の恩返しなのかな…と思いを新たにした次第です。

isr1131.jpg

「荒野に生きる鳥」 1994年 マサダ要塞跡地にて。PHOTO: Chikara Takeshita

ナオミ・コミュニケーションのツアー参加中に撮影したもの。
のちに、レインボーミュージックCD「Send Me」のジャケットにも採用。

当時は、鳥だの、猫だの、「聖地」とは全く関係のない写真ばかり撮っていたものでした。。。
posted by acts at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月07日

聖地旅行コラム■放蕩息子、イスラエルに行く

エルサレム嘆きの壁なにゆえ、聖地旅行なのか…?
旅行代金は高いし、休みも多くとらなくてはならないし、行くに行けないという方もいらっしゃると思います。

聖地旅行と言っても、ただ教会を巡って「巡礼」する旅ではありません。
聖書の世界を、この目で見、手で触り、肌で体感することができるのです。イスラエルを旅することで、今まで見えなかったことも見えてきます。
私自身の体験から、少しお話したいなと思います。

●放蕩息子、イスラエルに行く

私がはじめてイスラエルに行ったのは、大学時代、教会から離れていた時。
両親ともにクリスチャンでして、私は、いわゆる放蕩息子です。
かねてより父親から、「聖地旅行に行け、行け」と、しつこく言われていたのですが、かたくなに拒んでおりました。
我が家もさほど裕福な家庭ではないのに、まさしく親心、子知らずでして、今にしてみれば、大変贅沢な話です。なんとかこの愚息にも信仰を根付かせたいという思いの一身だったんでしょうね。。。。

正月に家に帰ると…

父:「2月の聖地旅行に申し込んでおいたから。」
私:「・・・はい?」
本人の意思確認なし。拒否権なし。完全に、事後報告でした…(^_^;)

「これって…、バビロン捕囚?」
なんて、わけのわからないことを言いながら、まあ、でも、申し込まれたものは仕方がない、写真でも撮ってくるかと、行くことにしました。なんと、親不孝でしょう。


●昔話から、現実へ
エジプトまあ、とにもかくにも、聖地旅行にいくことになったわけでして、そのときのコースは、ローマ、エジプト、イスラエル。
当時、聖書にも聖地にも興味は無かったので、撮る写真といえば、
猫だの、自転車だの、鳥だの…

まるで意味なし!

それでも、クリスチャンホームに育った関係上、なんとなく聖書の話は知っております。
ですが、特にエジプトのシナイ半島から、イスラエルの死海周辺あたりの荒野では、私が漠然と想像していた世界と全く異なっていました。
本当に一点の曇りのない深い青空。太陽光線がダイレクトに差し込んでくるようです。
シナイ山荒野と言っても、なんとなくサハラ砂漠みたいな一面砂だけの世界を想像していたのですが、大きな岩盤が風化して崩れている、そんな感じのまさに「荒野」です。
日本で聖書を読んでいた(読まされていた?)時のイメージとは全く異なっていたのです。

なんとなく小さな頃に聞いた物語か昔話だった聖書の世界が、突然、リアリティーをもって伝わってきたのです。

そして、一番印象的だったのが、考古学を研究所でみた十字架の復元モデルです。
私がイメージしていた十字架は、教会に飾られているまっすぐなクロスです。
しかし、実際には、伏しだらけ、曲がりくねった、荒削りの十字架。
今思えば心残りですが、そのときは、なぜか、シャッターを切れませんでした。
いや、無意識的に現実としての十字架から目をそらしてしまったのだと思います。


●見ずに信じるものは幸い?
信仰がリバイブされたのは、それから2年後のこと。。。
イスラエルで目をそらした十字架の現実が、迫ってきました。
将来に希望が持てず、漠然と生きていたある日…。
目の前に主イエスの十字架が描き出され、
「わたしが死ぬから、あなたは生きなさい。」という力強いメッセージを受け取ったのでした。

それから思い起こしたように、イスラエルの写真を引っ張り出してみたのですが、
とーぜんの事ながら、出てくる写真は

猫だの、自転車だの、鳥だの…(^_^;)
どこなのか、全くわかりません。。。

荒野に生きる鳥 -マサダ要塞あれから月日も経ちましたが、かつては聖地旅行に嫌々ながら行った自分が、今、こうして聖地旅行の手配する側に回っているのですから、不思議です。これだから神様のなさることは、わかりません。

聖書には「見ずに信じる者は幸い」と出てきます。
復活の主イエスを見ずに信じられなかった弟子のトマスですけれども、よくよくこの箇所を読んでいくと、彼だけではなく、ペテロも、ヨハネも、他の弟子たちもまた、実は、見て信じているんですよね。

「イエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。」ヨハネ 20:20

百聞は一見にしかずとも言います。
見ないで信じられないよりは、見て信じたほうが良いのです。

日本では想像から脱せない聖書の世界が、リアリティーをもって伝わってきます。
もし、行けるチャンスがあるならば、ぜひ1度は聖地イスラエルを旅してみてください。


…ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」

  ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」    ヨハネ 1:46
 
 
文/写真 アクツ企画 チャプレン/営業企画担当 竹下 力
(c)Chikara Takeshita/Holy Hope Project

────────────────────────────────────

◎教会・教団の皆様で聖地旅行に行ってみませんか?

 ガイドは、東京聖書学院卒業後15年在住の柿内ルツ師や、クリスチャンガイドの
第一人者・バラさんこと榊原茂氏を指名できます。


シナイ山とイスラエル12日間の場合、11月〜2月期 20名様で30〜35万円前後です。
シーズン、行程、人数、添乗員の有無などにより、料金が変わりますので、お見積ください。

また、2009年2月頃の募集ツアーも目下企画中です。
皆様の要望も反映させていきますので、興味のある方は、ぜひ一度、ご連絡ください。


TEL 03-5812-7080 /E-mail:tour@nikomaru.jp


────────────────────────────────────

posted by acts at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地旅行コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。